はじめまして、レイコです。
このページでは
幼稚園の発表会で
「大きくなったらフランスにいってみたいです。」
(国旗の配色が好みだった)
こう
言っていた少女が
どんな人生を歩んでいるのか?
について
語ってみたいと思います。
私は
きっと大多数の日本のママと同じような
子供時代を過ごした一人です。
家は会社員の家庭で
幼稚園時代に
社宅から家という建物へ引越しました。
幼稚園、小中高は地元で
大学生活は京都でした。
そんなごく普通な日常を送ってきた私に
人生の転機があったとしたら
それは
「ママ」になってからの人生です。
・2人の子どもたちは「自閉症」と「ADHD」で超個性的だった
・特に息子の自閉症ぶりが爆弾もので知るに知れた母と子になってしまった
・転勤で海外生活となり私と子どもたちだけ片道切符だった
・その後母国(日本)は経由地となり遊牧民のように地球を移動する真っ最中
・ママ専用の「在宅ワーク」を広めることとなった
・多くのママの人生はもっと良いものにしていけると真面目に思っている
こういうことがおきています。
主にやっていることは
「子育てママ業」と「在宅ワーク」です。
他にも時間を費やしてきた事は
もちろんあります。
でも
基本的には
「ママライフの報告書」を「書く」が
メインです。
私の仕事は「在宅ワーク」なので
時間も場所も、融通がきいて
束縛される感はありません。
パソコンとネット環境さえあれば
どこでも仕事ができています。
実際に現在進行形で
海外で
子育てママ+在宅ワーカーをやっていて
日本にいる時にも
別のアジア諸国にいる時にも
旅先どこでも
「在宅ワーク」が成立しています。
ここまでは
「子育て業」と「いろんな準備」もあって
まだまだブログの投稿数が少ないですが
記事に関連する
ご連絡をいただけるときは
とてもありがたいなと
感じています。
私自身は現在も
海外生活を継続中で
色んな人々
色々な文化
色々な視点
色々な心の在り方
本当にたくさんの側面から
学ばせていただいていて
その中のほんの一部分を
自分なりの視点で発信している最中です。
発信した記事に参加する形で
コメントや感想をいただけると
それが大きな喜び
モチベーションとなって
またストーリーを書こう
につながっています。
突然ですが
私は
「なんでこうなんだろう?」
に対して向き合う感覚が
人よりも“粘着質”のようで
大切な要素を帯びれば帯びるほど
たとえ静かでも
「なんで?」を手放しません。
特に
一生懸命努力していたり
頑張っている人や物事に対して
不条理さを目の当たりにすると
「どうしたら救われるのか?」
「どうしたらもっと良くなる?」
この思考を持ち続けて
解決に導けるまで動こうとします。
自閉症の息子のこともそうで
言葉も文化も違う異国の地で
「そこに行動を起こす理由があれば動く」
をなりふり構わず
やってきたのは
自閉症の息子が我が子だから。
なんて理由ではありません。
私が目にした世界は
息子を含めた
障がいをもつことを
“きっと自ら選んで”
生まれてきた子ども達が
一生懸命生きている姿が
そこにあったからです。
自分より
小さくで
か弱くて
さらに
逆境にさらされることの多い人が
いたのなら
少しでも
寄り添って
もっと良いものをめざして
自分も行動をおこせないだろうか?
こういうパターンで生きているのが
私レイコという人間です。
私は今
「在宅ワーク」という生き方を
ママを対象に伝えています。
「在宅ワーク」ときくと
自分の家で
何か仕事をして
収入を得る。
こう想像するかと思います。
「ママが自分で収入を作る」
つまり
経済的な自立
これが
なかなか叶わず
家庭の中で
我慢を強いられていたり
行き場のない想いを一人で抱えるママが
世の中多いのではないでしょうか。
「ママが自分で収入を作る」
これは
私の経験を踏まえても
大事なことで
ママが
経済的に自立できる術を
持ち合わせていれば
さらに
前向きな気持ちで
人生を歩む選択肢に
恵まれると思います。
そこで
自分の家で
何か仕事をして
収入を得る。
この部分を形にした
ママだけの「在宅ワーク」を作って
提供することをはじめました。
でも
私が伝えているのは
収入を得るだけの「在宅ワーク」
ではなくて
ママ達に
「在宅ワーク」という「新しい生き方」
を伝えている最中です。
これは
「在宅」つまり「家」という場所で
・自分の心のエネルギーを高める
・信頼が溜まっていくエネルギーをもつ
・関係性が深まっていくエネルギーを育む
という
自分のエネルギーを
正しい方向へ導いていく「ワーク」(作業)
を行うことです。
その「ワーク」の先には
豊かな人生というものがあると
信じています。
エネルギーは
一緒にいる人や
周りにどういう人がいるのかによって
自分のエネルギーが
良い方向にも
逆に悪い方向にも
大きく変わっていくものです。
自分のエネルギーが高い人は
周りにエネルギーが高い人が集まってきますし
エネルギーの高い人たちと
関係性が深めていくと
つながることができて
エネルギーの循環がおこって
自分の中にも
良いエネルギーが溜まっていきます。
ママが幸せになる生き方って
どのようなものなのかを
一緒に学びながら
一緒に実践していく
これが私の伝える
「在宅ワーク」です。
エネルギーの高いママ同士が
連携して
お互いが
良い循環を起こしていく
ということをやっています。
すると
自分のエネルギーは
さらに清く高まっていくし
今度は
自分の高まったエネルギーを
自分の関わっている人たちに
届けていくことができます。
届けていくと
「なんかいいな」
「仲間になりたいな」
という人に出会えて
さらに関係性を深める
良い連鎖が生まれます。
私たちママは
良いエネルギー循環の中で
生きていくことができて
その輪を
さらに広げることができる
そんな機会を
手に入れることができます。
これらを叶えるものが
私の伝えている「在宅ワーク」です。
今現在
ママの「在宅ワーク」を広めている
レイコですが
それをしよう
と思ったきっかけは
個性的な特性(ASD・ADHD)をもつ
子どもの母親になったことと
海外で
子ども達共々
捨てられてしまう
という経験をしたからです。
私のママ人生は
スタートから
俗に言うワンオペでした。
第一子の誕生と
時を同じくして
子ども達の父親(夫)の仕事の大半は
海外でした。
第二子が誕生する時も
日本にいるのかいないのか
わからない状況で
家族のために
フットワーク軽く
働いてくれているのだから
始めてのママ業
ワンオペでも
ベストを尽くそう
こういった気持ちで
人生初の子育てに
挑んでいました。
そんな私たち家族が
本当の意味で
一つ屋根の下生活を始めたのは
転勤(海外勤務)になって
家族全員が
海外生活をすることになったときです。
私と子ども達の生活に
出張で不在にすることを除いては
ほぼ毎日
同じ住まいから出勤していく
お父さん(夫)がいる
という生活の変化が生まれました。
この頃の
私の子育て生活は
異文化の中での子育て生活
という点では
新しいスタートラインをきったけれど
ワンオペ育児は継続中。
1日の中で
家族全員が顔を合わせられるのは
朝の「おはよう」の時だけでした。
家族一緒に食べる食事
というのは
土曜日か日曜日で
お父さん(夫)が
在宅している時に限定。
だから
いざ
一つ屋根の下生活が
はじまったといっても
実際には
話をしたり
一緒に何かをする時間は
わずかなものでした。
私といえば
エルゴの抱っこ紐と息子が1セット
幼稚園児の手をひいて歩くがもう1セット
慣れない土地でも
公共交通機関を駆使して
通園の送迎(朝・夕)が日課で
片道1時間半~
混雑すると2時間超えの
時間がかかりました。
いずれ
この界隈では
「今日もあの日本人親子がやってきた」
と皆が黙認する
有名なお騒がせ親子となっていくのですが
その理由をしっかりと
教えてくれたのも
この海外生活でした。
あなたの息子さんは
自閉症ですよと
“即”教えてもらえたことは
いろいろな謎解きパズルをしていた私が
一気に答えに到達した
そんな瞬間でした。
そして
今後の人生
ずっとかかわっていく
療育生活のある子育て
の始まりでした。
私と子ども達の
通園は
やっとのことで
園まで送り届けた。
(渋滞がひどいのです)
が
第一関門の突破で
次に待つのは
自宅を通過して
園と逆方向にある国際病院までの
道のりです。
依然
通勤・通学ラッシュの最中で
まだまだ渋滞や混雑でごっちゃごちゃ。
ここでも
公共交通機関を
乗り換え
乗り換え
ひたすら前へ動くのみ
ゴールラインには
療育3時間がまっています。
療育中は
ビデオ撮影をしたり
先生の指導内容をノートに書きかき。
出来る限りの質問をしました。
親として学ぶことが
たくさんありました。
常に大きな
爆音(叫び声&泣き声)と
爆動(怒りにまかせて暴走&暴れる)
自閉症が故に
時限爆弾のような息子の癇癪に対処するのは
もうお決まりごとでした。
最初に通っていた病院は
諸外国から患者さんがくる
とても大きな国際病院です。
息子の「癇癪爆弾の在り様」は
国際級だったようで
いろんな国の人々が
私たち親子に
視線を向けます。
私は名乗らずとも
「〇〇(息子の名前)ママ!」
といろんな人から呼ばれる始末
ほぼどこでも
顔パスで通るようになりました。
このように
朝日が昇れば
息子の爆弾が弾ける
また弾ける
(背中におぶって寝ている時だけが
日中唯一の不発弾。)
これを
日々繰り返しながら
療育が終わると
とんぼ返りで園のお迎えをして
家路につくのは夕食前。
急いで夕食⇒お風呂⇒寝かす
一連のお世話を嵐のように終えて
子ども達との1日は終えるのでした。
平日は
「食材の買い物をする」時間は
どこにもないので
週末に大きくまとめて
食材の買い物をしていました。
振り返ってみても
最初の3年間に過ごした
家での
記憶と記録(写真)というのは
夜の時間帯のものしかありません。
(例外的な記録は休日限定です)
外を歩きまわる生活を物語るように
あっという間に
次々と靴は履きつぶされて
このお家に住んでいたことがあった。
という記憶にすら残らなかったほど
当初の
海外生活は
母子共々
ただひたすら
異国の地で
その時その瞬間を生きることに
精一杯でした。
私も
きっと子ども達も
各々の疲労感に大きく包まれて
一日の終わりに寝に落ちる。
そして
明日という日を迎えいく。
この繰り返しだったのです。
そんなある日のこと。
私は
衝撃的な言葉を耳にします。
「こっちは奴隷のように働かされて。
もうずっと苦しんでるんだよ!」
これは
私と子ども達の生活空間に
ほとんど滞在していない
子ども達の父親(夫)からの
突然の言葉でした。
海外あちこちに移動して
仕事をして
海外勤務生活も
激務に追われて
自分は
会社の奴隷のように
働かされるコマで
ずっと苦しんでいるだよ!
ではなくて
「家族のために働く現実が
奴隷のようだ」
だったのです。
ワンオペはもはや
自分の家族では
私のお役目なのだと
そう思って
子育てを担っていた私は
奴隷?
って言葉に
びっくりしてしまいました。
仕事で
不在が日常の夫は
家のことや
子育ても
実質的な
関わり合いがほぼないのに
会う機会すら
限られてきた私たちが
どうやって
奴隷に??
って
思ったのです。
明らかになった事実は
子ども達の父親(夫)にとって
家族とか
子ども達の母親(妻)とか
子ども達という存在は
いてくれてよかったな
じゃないんだ。
ということ。
家族をもっと
身近に感じてもらえなかったら
まだ小さい子ども達に
申し訳が立たないよ。
こんな気持ちが
瞬時に噴水のごとくわいてきて
私の心を満たしました。
ワンオペの歪みが
こんな状況を生んでいるのなら
もっと
仲間に入ってもらう努力が
足りなかったのだろうか。
一緒に子育て業に
参加してくれる?っていう
お願いが足りなかったのだろうか。
そういうことをしていけば
子ども達の父親(夫)の
「苦しい」
「奴隷のようだ」
って感情が
なくなっていく?
ここから
少しの間
「仕事が忙しいはず」の
遠慮という名の定番を封印して
自分をかえて
学校行事へ誘ってみたり
療育の参加を促してたり
もっと子ども達の日常を
努めて伝えるようにしてみたり
試してみたのです。
すると
事態は
好転するどころか
もっと悪くなりました。
子ども達の父親(夫)の感じる
閉塞感とストレスは
深まるばかりでした。
そして私は
本当に理解したのです。
自分と
人生の伴侶だと思った人の
見ている景色が
こんなにも
似ても似つかぬものになっていた
という現実があること。
あの時言い放たれた
「あなたと子ども達の奴隷をやっています。
ずっと苦しんでます。」
この告白は
さらに続いた言葉通りの
ものだったのです。
「自分は
家族というものがあるがために
自由に生きることができないんだよ。
自分の自由を奪う家族を
扶養するために働くのだから
自分は
奴隷以外のなにものでもないではないか。
子ども達が生まれてからの人生
ちっとも楽しくない。
子育てが終わるまでは
しゃーないって言い聞かせて・・・
もうずっと苦しんでいるんだ。」
追従するように
一気に言葉を吐き出した
あの告白は
嘘ひとつない
本心そのものなのだと
あの時
私は
驚くくらい静かな気持ちで
自分の深い所に落としこんだのです。
その後
私と子ども達がたどった道は
日本への転勤になっても
海外生活を3人で継続するよう
告げられて
夫は1人この地を去り
突然
生活費や
子ども達の学費が
送られてこなくなり
子ども達は
学校に通えなくなり
日常生活が
送れなくなって
生活を
バタバタとたたんで
なんとか
海外から戻ってくると
私たちの居場所は
どこにもありませんでした。
生きていると
いろいろなことがあるのですが
居場所がない
ところまでいきついた
私は
今まで「やっていたもの」
今までの「やり方」
今までの「自分」
が完全に崩れて
「本当に自分が作れる世界って何?」
と考えるのです。
「本当の自分になって
作れる世界があるはず」
感じたままに描いて
自分で選んだ色で染めて
見えない未来にあること
初めてやろうとすること
ゼロから始めることは
決して簡単ではないけれど
「今まで」にとどまっても
良いものが生まれないのだから
もう
抜け出すだけだよね。
自分以外の人から
影響を受ける
変わりようのない現実や
何もプラスを生まない時間を
ただやり過ごすことほど
空しく
心枯れるものはありません。
自分の人生は
もっと
豊かな時間を流していきたいし
自分が生きる空間は
良いエネルギーで満たしたい。
同じ
大変な想い
大変な経験をする
でも
今よりも良くなる
を目指しているほうが良いし
一歩ずつでも前進している
がいい。
日々の積み重ねが
成果として実る時がくれば
「やってよかった」
の充実感を受けとれる。
人間だれしも
大変なこと、困難なことに
遭遇するけれど
そのインパクトが
大きければ大きいほど
「人生が動き出す」
が確実に始まるチャンスです。
「今まで」にサヨナラを。
「今まで」を壊してみよう。
「今まで」を抜け出して
大海原へ出てみると
解き放たれた解放感と
距離をつめてくる恐怖
相反する気持ちを
かかえながら
それでも
逃げないで
諦めずに
帆をはるその手を
離さなければ
自分という船は
「前へ」進むことができます。
だれにだって
「本当の自分になって
作れる世界があるはず」
経験したくなかった
と感じた
辛く苦しい時間も
ただ
暗くて嫌なものだった
こう人生に記録するのは
もったいないです。
辛く苦しい時もあったから
自分が「強く」なれたし
苦しくても諦めなくなった。
こんな風に
暗いものでさえ
明るいエネルギーに変えて
そうなんだ
あの時起こったことは
このためにあったんだ。
と気づける瞬間が
後にあることを
信じてみてください。
その時は
暗黒の時間だと思ったことも
自分を高めてくれる栄養素に変えて
時を紡いでいくのです。
何もプラスを生まない「今まで」
から抜け出して
「人生が変わる」
とても
大きなエネルギーが
生まれます。
ママの皆さんの
1人1人のエネルギーが
集まったら
とてつもない量の
エネルギーが集結して
在宅からでも
キレイなエネルギーが循環する世界を
作り上げていくことができます。
私がやりたいことは
ママとして生きる空間に
良いエネルギーを詰め込んで
幸せなママライフを送ること
これを
「皆で」やりたい。
「ママの皆さん」と一緒に
やることです。
「ママがもっと自由に」
人生を生きることができたのなら
世の中は
もっと明るくなり
もっと笑顔が増えるはずです。
私には
今でも
忘れられない光景が
あって
あれは
小さな住まいに引っ越して
生活をどんどん小さくして
私と子ども達だけの生活が
もう数年経過していた時のことです。
その日は
ご褒美で
子ども達と外食をしていると
日本人の
ママとお子さん2人が
同じお店にやってきました。
お子さんの一人は2歳前後
もう一人は赤ちゃんです。
大きなマザーズバッグに
ベビーカー
赤ちゃんは抱っこ紐で
ベビーカーにもう一人。
お子さんは
元気いっぱい
お母さんに話かけていて
お母さんは
テーブルに
子ども用の椅子を運んでもらえるよう
お願いしています。
日曜日なのですが
お父さんの姿はありません。
お母さんは
赤ちゃんを抱っこしたまま
2人のお子さんに
食事を与えたり
あやしたり
いろいろお世話をしたりで
自分の食事なんて
ままなりません。
お母さんは
誰かと視線を合わせることもなく
ただひたすら手を動かして
その表情は
影を帯びて
切なく悲しそうです。
私の目には
そのテーブルだけに
スポットライトが
あたっているかのようでした。
なぜならば
そこは
外国で
週末の時間を過ごす店内は
ゆっくりと食事を楽しむ家族
笑顔で談笑する人達が
大半なのに
そのテーブルだけ
日本の
子育てママの実情が
ありありと
映し出されていたからです。
誰にも頼ることができずに
孤独と向き合いながら
逃げ場もなくて
耐えて
お母さんを頑張っている。
舞台を
外国に移しても
私の国ではごく当たり前な
「子育て」風景が
目の前にあって
ママ1人
疲労困憊している。
そのテーブルが
強調されて
頭から離れないのです。
きっと
遠く離れた日本にも
同じような状況で
子育てに励むママたちの姿がある。
日本人の
お母さんとお子さんだけの
テーブルと
その周りにある
賑やかで楽しそうな
たくさんのテーブルと
その
コントラストと
そして
私と子ども達の
3人で
ご褒美の外食で
座っているテーブルと。
本当は
知り合いでもなんでもない
あのお母さんに
「元気ですか?」
「大丈夫ですか?」
「お子さんがまだ小さくて
大変ですよね。」
「お母さんもちゃんとゴハン
食べて下さいね!」
みたいなことを
せめて伝えたい。
でも
私も母親任務中。
離れたテーブルで
子ども達の食事の
お世話なのです。
結局
何もすることができなくて
消化しきれない気持ちだけが
残りました。
もし
ママという立場の人たちが
皆で集まり
皆の日常を持ち寄って
皆のエネルギーを集めて
辛いことも
悲しいことも
たくさん経験するのだけれど
1人1人の
経験や想い、考えていることを
語り合うことができたのなら
1人で孤独に
「子育て」と向き合うよりも
ママがもっと元気になれる世界を
作れるはずです。
ママという役割が
忙しくても
「つながれる場」
を作って
自由なタイミングで
訪問してもらう何かがあれば。
そう思い
「レイコ白書」という
「ブログ」を始めました。
「幸せを手に入れるママライフの報告書」
という形で
私のママ生活の記録や思いの丈を
書くことを始めました。
私のストーリーが
少しでも参考になったり
私の言葉が
少しでも前向きな気持ちを
提供できるものになったらいいな
の気持ちで書いています。
あの時のママには
声をかけることが
できなかったけれど
同じような立場で
苦しんでいる人や
元気のない人がいるのなら
エールを送って
一緒に
前を向いていきたいです。
だれにでも
「本当の自分になって
作れる世界があるはず」
こう私は思います。
仲間になっていただける
ママ達には
「在宅ワーク」という
「新しい生き方」を伝えながら
良いエネルギーを循環させて
皆さんと一緒に
豊かなママライフを送っていきたい。
これが
私がママの皆さんと一緒に
目指すものです。
幼稚園の時
フランスの国旗がいいな
と思った少女は
ママとなり
フランスの国旗と似たような配色の
国々に滞在しているのですから
人生
何が起こるかわかりません。
自分の見ている景色は
自分でしか変えられません。
きっと
もっとおもしろく
もっと楽しくなると思います。
「在宅ワーク」のある人生は
まだ始まったばかりですが
ママの生活は
もっと良いものにしていくことが
必ずできます。
ぜひ
皆さんも一緒に
ママが輝ける
明るいストーリーを
たくさん作って
一緒に
広げていきましょう。
プロフィール
最後まで読んでいただきまして
ありがとうございました。
レイコ